【伝説のチャンピオン雑学】今も日本人の心に残る2人のボクシングチャンピオン!




鍛え抜かれた身体を持つボクサーが、

白いリングの上で意地と誇りをかけて壮絶な打ち合いを繰り広げる。

ボクシングの醍醐味ですね。

今回は日本のボクシング界を沸かせた、

今もファンに愛される2人のチャンピオンの雑学をご紹介います。

 

伝説のチャンピオン 今も日本人の心に残る2人のチャンピオン

敗戦でがっくりしていた日本国民に、希望をくれた白井選手1年365日、

毎日が何かの記念日だと言われますが、5月19日はボクシング記念日です。

1952年(昭和27年)のこの日に戦われた、世界フライ級タイトルマッチで、

挑戦者・白井義男選手が、チャンピオンのダド・マリノ選手に判定で勝利しました。

日本人初の世界王者の誕生です。

世界王者への道が、今とは比べ物にならないほど遠かった時代。

敗戦の苦しさを引きずっていた国民に、白井選手の勝利は大きな希望を与えてくれるものでした。

1955年5月30日 パスカル・ペレス選手との5度目の防衛戦では、

なんとテレビ視聴率96.1%と言う数字を残しています。

もちろん今でも、日本のテレビ史上最高の視聴率です。

ほとんどの人が、テレビにかじりついていたってことですよね。

しかしこの防衛戦で白井選手は、ペレス選手に敗れてしまいました。

リターン・マッチでも敗れた彼は、その後引退を発表しました。

58戦48勝(20KO)8敗2分、白井選手の生涯成績です。

ボクシングのリングですが、形は正方形と決められています。

広さは1辺が5.47mから7.31m。範囲内結構おおざっぱな数字です。

世界チャンピオンのまま亡くなった大場選手

大場政夫と言うボクサーをご存知でしょうか。

1949年東京都墨田区に生まれた少年は、貧しい家庭環境で育ちました。

ボクシングファンだった父親の影響を受けた彼は、

「ボクシングの世界チャンピオンになり、家を建てよう」と目標を決め、

中学卒業後帝拳ジムに入門しました。

プロデビュー後6連勝(4KO)と順調なスタートを切り、

1970年4月、世界4位にまでランキングを上げていました。

そんな彼に、世界タイトル挑戦のチャンスが訪れます。

WBA世界フライ級チャンピオンの座に就いたばかりの、

タイのベルクレックから、初防衛の相手に指名されたのです。

タイトル戦初挑戦のこの試合で、

大場選手は見事にチャンピオンベルトを奪い取りました。

その後5回の防衛に成功した彼は、1973年最後の防衛戦から3週間後に、

わずか23歳で自動車事故でこの世を去りました。

現役世界王者のまま亡くなった彼は、

今も「永遠のチャンプ」としてファンの心の中に生きています。