【ミス美人雑学】初代ミス日本の始まりは〇〇時代!?




明治維新で近代の夜明けを迎えた日本。当時いくつもの「日本初」が始まったり、行われたりしました。

すぐに消えてしまったものも有れば、今に伝わるものまで有りますが、その中から今回は美人コンテストを紹介します。

日本初の美人コンテスト、選ばれたのは女学生!

江戸時代にも美人番付はいくつも発表されていましたが、選ばれる対象となったのは、芸妓や水茶屋で働く女性達で、一般女性が対象になることは有りませんでした。

1907年、アメリカの新聞社シカゴトリビューン社から依頼を受けた時事新報社が、「日本美人写真募集」を開催しました。

これが一般女性を対象とした、日本初の美人コンテストと言われています。

勝者に与えられる賞品は、ダイヤモンドの指輪と、総額3,000円(現在の価値で2~3,000万円)の賞金だったことも有り、全国から7,000通以上の応募が有りました。

現在のステージ審査とは違って、応募写真を画家や歌舞伎役者、医学者など13人の委員が審査しました。

お医者さんが審査委員に入っていたのですね、健康美も基準になったのでしょうか?

この時、日本初のミスの栄冠に輝いたのは、学習院女子部3年生の末弘ヒロ子16歳、小倉市長も務めた末弘直方の四女でした。

2位は宮城県の金田ケン子、3位は栃木県の土屋ノブ子で、この3人の写真はアメリカへ送られ、サンデートリビューン紙の紙面を飾りました。

明治の美人さん達。

左から2人目が末弘ヒロ子です。

皆さん現在でも美人で通用しそうですね。

ついでと言ってはナンですが、イケメンコンテストも開催

美人コンテストに刺激を受けたのかどうかは分かりませんが、1910年には早くも毎日電報(現在の毎日新聞社)が、新聞紙上で美男子写真を募集しています。

こちらもなんと1,000通余りの応募が有りました。優勝者はまさかの加賀100万石前田家の末裔、前田利彭(まえだとしちか)氏。

この美男子コンテストの目的は、日露戦争に勝利した日本が、日本の立派な男性の存在を他国に向けてアピールすることだったとか。

でも、前田利彭氏はこれがもとで、前田家から追放されてしまいました。

こちらは明治の美男子です。

画質は悪いですが、なかなかの方ですね。

美人コンテスト開催後、即イケメンコンテスト開催だなんて、文明開化の明治の人もやりますねっ!