今からほんの150年ほど前の江戸時代、時代劇にもよく取り上げられるので、日本の歴史の中でも一番親しみを感じる時代ではないでしょうか。
でも本当のところ、当時の人々の暮らしぶりはどうだったのでしょう?
清潔さの原因は、徹底したリサイクル?
江戸時代日本は鎖国をしていました。とは言え、江戸を訪れる外国人も少数ながら居たわけで、彼らの旅日記も残っています。
その中で彼らはこう書き残しています。
「日本人は小屋のような所に住んでいるが、身なりは小ざっぱりとしている」
「小さな家の中に家財道具はわずかだが、清潔で掃除も行き届いている」
「通りにはゴミひとつ落ちていない。我が国とはずいぶん違う」
江戸の町の清潔さにいたく感激したようですが、これには理由がありました。
江戸の町にはクズ拾いを職業にしている人たちが居て、江戸中から紙クズ、金物クズ、生ごみから落ち葉まで拾いまくりました。
そのお陰で、江戸の町は、ごみの落ちていないきれいな町でした。
集めたごみは分別され、それぞれの専門業者がお金を払って引き取り、再生紙や新しい金物、堆肥として活用されました。
リサイクルシステムが確立していたのです。

家財道具は徹底活用、新品でなくても充分
リサイクルシステムと共に確立していたのが修理システムです。
物が壊れたからといってもすぐには捨てません。
生活用品のほとんどを、専門の修理職人が直してくれます。わざわざ呼びに行かなくても、修理道具を肩にかついで常に江戸の街中を巡っている職人が、たくさん居ました。
「ちょいと、頼まれておくれよ」と声をかければ、すぐに手ぎわよく直してくれました。
ぞうりが痛めば、「雪駄直し(せったなおし)」職人の出番です。

提灯の紙が破れたら、新しく張り替えてくれました。サービスで屋号なども書き入れてくれて、けっこう達筆だったそうです。
切れ味の悪くなった刃物を研ぐ「研ぎ屋」、ナベや釜(かま)の修理をする「鋳掛屋(いかけや)」、そろばんの修理や交換を行う「算盤直し(そろばんなおし)」、修理はもちろん、古くなった傘の下取りまで有ったそうです。
物が少なく貴重だったので、1つのものを修理しながら長く大切に使うのが普通のことでした。
この2つのシステムにささえられて、江戸庶民は少ない生活道具で充分間にあうシンプルライフを、楽しんでいたのです。