【引き継ぎはしっかり雑学】夏目漱石と小泉八雲の意外な因縁!?




夏目漱石といえば、だれもが知る日本を代表する小説家の一人です。

その漱石がまだ英語教師時代、辛い経験をしていました。

なんと二度も小泉八雲の後任となり、

おかげでいろいろとさいなまれることになってしまった、

ということを皆さんご存知でしょうか?

今回は夏目漱石と小泉八雲の、意外なつながりをご紹介します!

 

小泉八雲、流転の末の日本で”教育”に目覚める

八雲はギリシャ生まれ(カッコイイですね)で四十歳にして来日し、

教師・ジャーナリストとして各地を転々。

特に日本の民話などから題材をとってまとめた「怪談」などが有名です。

この八雲、なかなかの教育熱心で、どの学校でも生徒からの信頼が篤かったといいます。

情熱教育者八雲と官僚主義バリバリ帝大の軋轢と”生徒たちの乱”

八雲が東京帝大・一高(現東大)に赴任していた時、

帝大側は既に、「お雇い外国人」の時代は終わり、

これからは「日本自前」の教師にやってもらわねばならない。

と高級官僚精神丸出しの状態になっていました。

すると八雲に突如”手紙一枚”で解雇の意を通達します。

これに憤ったのが生徒たちです。

彼らはたちまち徒党を組んで、学校側に詰め寄り、

八雲の邸宅にも遺留の説得に赴きました。

が、結局彼はその年に帝大を辞めてしまいます。

 

そんなに俺が嫌なのか。漱石苦難続出

その直後、帝大英文の教壇に立ったのがイギリス留学から返ってきたばかりの漱石です。

当然、こうした生徒たちは腹の虫がおさまりません

ですから即反抗です…。

川田順などは「八雲先生のいない文科などにはいる意味もない」

と言って法科に転科してしまいます。

そして五月、大変なことが起こってしまいます。

教え子の藤村操(※)が伊豆の浄蓮の滝へ

「巌頭之感」という現世への絶望の詩を残し、

投身自殺を果たしてしまいます。

ちょうど、漱石が彼に「君の英文学への考え方は間違っている」と

指摘した矢先の出来事であったために、漱石は神経衰弱に陥ってしまいます。

※操はこの時1年で八雲の教え子という訳ではございませんが

 

日本にまつわる偉大な文学者二人の強い因縁

その後、漱石は漱石なりの教育を地道に精進し、

次第に生徒たちは彼を信頼してゆくようになります。

ただ、このトラウマが彼の中から消え去ったかどうか。

なお、漱石は帝大に赴任する以前の五高(現熊本大)でも

英語教師として八雲の後任にあたりました。

文学においても方や新たな近代文学を切り開き、

方や異邦人でありながら古き日本の姿に強い郷愁を重ねました。

この二人の偉大な文学者の間にはよほど不思議な因縁があるようです。